STAPさん

「事実は(大概の場合、多くの人にとっては)面白くはない」という認識を否定するから、こういうことになる。

例えば、日本の一般向け科学書は、一見、科学的に見える科学的ではない記述が多い。
一方、欧米の一般向け科学書では、科学的事実の記述が少なく、科学者のエピソードが多く含まれる傾向にある。
だが、科学者に関する(虚偽のエピソードではなく)「事実」を書こうとすれば、
それは「科学史」となって、多くの人にとって面白くなくなる。
どちらも(多くの人にとって)面白い記述は事実ではないのだ。

STAPのような(多くの人にとって)面白い話は事実ではない可能性が高い、と認識すべきなのである。
模擬授業も同様に「面白い(が事実でない)話」を求めているのか?、
それとも、「事実(だが面白くない話)」を求めているのか?、明確にすべきである。

ただし、「一部の人にとって面白い事実」で世界は溢れている。
例えば、「一部の専門家しか興味を示さない新発見」(科学)、
「彼と知り合いでないと面白くない話」(世間話)などである。
事実は人を選ぶ。



【関連】
事実は「説明」されるものではなくて、「確認」されるものである。
説明は虚偽のエピソードの一種である。
kikumaco(9/7ベアーズ) on Twitter: "これはとてもだいじなことで、僕も繰り返し強調している。メカニズムの解明よりもまず疫学ということでもある https://t.co/xr1KQA7X5X"
kikumaco(9/7ベアーズ) on Twitter: "そうなっている。ここでのポイントは解明ではなく「説明」というところなんだけどね https://t.co/zUs68PgPTa"



【アレルギー】
(たまたま耳にすると、やはり)ジャズのボーカルは苦手だなあ(と思う)。
インストは別にいいんだけど、何でかな?
まあ、結果、ほとんど聴かない訳だけど。