柳下浩紀(属性:「劣等生」、「ノンエリート労働者」)

「【新規】な曲なのかもしれないが、【クラシック】な曲ではないから、不適切です」と言われているような感じよね。「新規であり、かつ、クラシックであること」という要件ですか、なるほど。もちろん、そういう媒体もある方がいいんだけど、そんな媒体ばっかりでいいんですかね?

> 科学の発展に貢献したかどうかは、何よりも科学論文の執筆者(オーサー)であるかどうかによって判定される。このような考え方は当たり前に思えるかもしれない。しかし実際には、このような考え方が有力になったのは、ある特定の時期の特定の状況の中でのことであった。
> 査読者は匿名となり、さらにその役割は著者を励ましたり、情報の拡散を促進したりするというよりも、むしろ出版される論文の質を保って王立協会の権威を守る門番というものになっていった。
顕名の著者と匿名の査読者 シザール『科学ジャーナルの成立』第3章 - オシテオサレテ

> テレビ番組ロケで新種を捕まえる
> 国際的学術誌も認定
アンガールズ・山根さん「未知の昆虫」大発見!その名は「モトナリ」 テレビ番組ロケで新種を捕まえる 国際的学術誌も認定「日本のコメディアンが発見した」 | RCC NEWS | 広島ニュース | RCC中国放送

学者の仕事は、新たな発見をすることではなく、
誰かの発見が新規であった場合に、それを学術
データベースに適切に登録することになるかも
しれませんね。そして、当該の発見の価値は、
未来の各時点において、「時価」としてのみ、
与えられるようなものになるかもしれません。
一方、(民間企業などで)製品開発に従事する
研究者というのも当然、今後も残っていくこで
しょう。
%しかし、そうすると、誰かが発見して報告をしていたのに%
%データベースへの登録を当時の学者が怠っていた、なんて%
%評価を将来、下されることも、ときどき起こるでしょう。%

> 人生のほうが大事ですから。そんな野球ぐらいで落ち込む必要はない
ダルビッシュ36歳はなぜ“後輩と対等でいられる”のか? 唯一の“昭和生まれ”、異端児と呼ばれた過去も…「人生のほうが大事ですから」 - 侍ジャパン - Number Web - ナンバー

【参議院議員】山田太郎 - YouTube
https://twitter.com/yamadataro43/

> 記録が残っていたらお前はそれを読むのかと言ったらほとんど誰も読まないのだけど、誰も読まない記録が残っていて読む人を待っていることが大事
https://twitter.com/marxindo/status/1158129609159823360

「ジャーナルの多く」が「主に既得権保護の場」である状況(さらに、それに代わる適当な物が台頭もしない状況)が続けば少しずつ、でも、確実に悪くなる一方なんでしょうね。「少し遠い将来」において、台頭しそうな気はするんですが。そのときに「過去作品として拾われるか、どうか」という問題なのかもしれません。「ジャーナルに載ってる方が拾われやすい」ということはありそうです。

あんまり学術的な活動をしていない私が言うのも、何ですが。
ポストとか、研究予算がらみで、既存の価値観の基準で競争をしなければならない、というのは、まあ、そこは(良し悪しの問題ではなく)如何ともしがたいでしょうが。

[より全般的な背景を書くと、多くの人は高待遇ではないけれど、激しい競争はなく、気楽にやっている。
一方、一部の人は競争は激しいが、そこで結果を出すことにより高待遇を得ている、というような状況が
もっとも多くの人が幸福になれるのです。ところが、なぜか、下々の者にまで、激しい競争を要求しつつ、
そこで結果を出した一部の人も高待遇ではない、という極めてバカバカしい状態を維持、強化するような
ことに加担をしています。自覚、反省、教訓を持つ人が増えることを望みます。]

> 大学院生とポスドクたちが、10キャンパス全てで、アカデミアの労働者ではアメリカ史上最大とも言われるストライキを行っている。インフレに全く見合わない低賃金と、いわばやりがい搾取と言える劣悪な労働環境を変えるべく、革命を起こしたのである。
> TAは授業を教えるべきではないし、宿題を添削するべきではないし、研究員は研究をしてはいけない。研究が止まり、授業に混乱が起きることで致命傷を負うのは大学経営側であり、そのダメージを負わせ、労働者たちの価値を示すことこそがストライキの目的なのだ。
> “dream job(夢の職業)”に就くことがあまりに美化されてしまった結果、仕事に強い思い入れや愛情を注がなければいけないというプレッシャーが存在していることが挙げられる。そしてその仕事に対する熱意や献身が、ことごとく利用され、若者が搾取されていくという負のスパイラルが続いてしまっている。
https://gendai.media/articles/-/106116
https://gendai.media/articles/-/106119

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最先端の流行の中で、流行に浸かった視点から見て興味深いことを提示をする。
それが、数学の研究だとすると、大して面白くない世界ですよね。
でも、実際問題として、しょうがない気もします。
「昔は先端だったけど、それは今は基礎である」といったことが、直近の30年くらいは起こらなくなってきているような気がするから。
要するに、流行が移り変わってるだけで、「その一部は流行とは無縁の基礎になる」ということがあまり起こっていないということです。
将来、何が基礎になるかは分からないから、そんなことは気にするな、というのは「個別の研究」については妥当なのだけど、個別の問題ではなく、「全体の傾向」として、そうである以上は、そんな個別の話は、ただの誤魔化しですよね。
例えば、将来の学部生向けの標準的な教科書の題材として取り上げられることもあるようなことに関わる(そのものではなくても、関わる)ことができればいいのですが、何分、そうなりそうな気がするものがあまりないような気がします。
抗いたい気持ちはあるのだけれど、難しいですね。
群環体にせよ、測度論、多様体にせよ、その基礎の部分は、それ以前の数学に比べて別に難しい訳じゃないんです。
「その視点で見ることで、話がクリアーになる」というのが重要な訳であって、そういうものが基礎になる訳です。
ですから、その視点で見ることで「話がクリアーになる」ようなことを目指す、ということになる訳です。
難しいことをして、「俺、数学できる」ということを示したい(一体、誰に?査読者に?)訳じゃないんですよね。
いきなり、将来の「基礎そのもの」になることをするのは難しいとしても、応用研究ではなく、基礎研究であるならば、将来の「基礎に繋がる」(可能性がありそうな)ことが重要なはずです。
もちろん、それを判断をするのは難しいです。
問題は「今の流行の中にいる視点で見て面白いか、どうか」というのは適当な代理指標ではないだろうということです。
「既存の基礎」の視点で見て面白いか、どうかも適当でないでしょう。
要するに、「適当」な代理指標のないところで、ハイインパクト、ハイクオリティーでなくてはダメである、というのは全くおかしい、ということです。
適当な代理の基準がない以上、基準は、そのものである「(可能性は当然、低いが)ひょっとしたら、将来の基礎に繋がることもあるかもしれない」であるべきです。
この基準を採用すれば、掲載の基準は「極めて緩いもの」になるはずです。
基礎研究である以上、難しい問題を解く(難病の特効薬?難病だったら、応用的な意味があるのは明らか。数学の難問は?)のに役に立つことよりも、将来の基礎的な観点(の一つ)に「繋がる」ことの方が重要でしょうね。
難しい問題を解くこと(多くの純粋数学者の評価)も、数学以外の分野に関連した問題を解くこと(多くの応用数学者の評価)も、どっちも大して重要じゃないんです。
「将来、空気のように大して意識されることなく用いられること」(将来ではなくて、今であれば、例えば群環体、測度、多様体などの基礎的な部分はそうです)に「繋がる」ことが重要なんです。
そんなの判断するのは難しいじゃん、というのは、その通りですね。
だから、基準は緩くあるべきなんです。

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「ほとんど」の雑誌が、ハイクオリティーだとか、ハイインパクトだとか言っていることは問題でしょう。そういう雑誌もある、ということは良いと思いますが、ほとんど、というのが問題です。
新規な事実を「その証拠(数学の場合には、その証明)」とともに報告をするというのが、雑誌の本来の役割のはずです。そこには、ハイクオリティーである、とか、ハイインパクトである、とかいうのはないはずです。
その本来の観点から言えば、証明に本質的な不備がある、とか、密接な関係のある先行研究が適切に参照されていない(≒報告されている事実が新規なものでない)、とか、違う分野の話である、とか、でなければ本来は掲載すべきなのです。もちろん、雑誌発行には「コスト」が掛かります。しかし、最近は、Tex、及び、電子出版により、そのコストは「レフリーやエディターが判断をする労力」にほぼ集約されています。
ハイクオリティーであるか、とか、ハイインパクトであるか、というのをレフリーやエディターが判断をしようとするために、余計なコストが発生している状況だと言えるでしょう。本来するべき判断のみに労力を割くようにすれば、雑誌発行のコストは幾分か、軽減されるはず。

一つの問題はハイクオリティーであるか、とか、ハイインパクトであるか、を判断しようとすると
通常は既存の価値基準を参照しなければなりませんが、それが一概に悪い、ということはないのでしょうけれども、ほとんどの雑誌がそうであるということの一つの問題は、「過剰」にそれを強化してしまう、ということにあるでしょう。

こういうことになっていることの背景は、容易に理解可能であるのですが。
学術研究の価値は公表されてから、相当程度の時間が経過しないと見いだされない場合が、多い。
一方、そこまでの時間の経過を待たずに、価値があることを提示したい場合も多い。そのために、代理指標が要求される。代理指標として、有力なジャーナルに掲載された、というのは、そこそこ有効だと。なので、そういう雑誌がある、というのはいいのだけど。そのような代理指標の提示をするのは、雑誌の「本来の役割ではない」はずですから、「ほとんど」の雑誌がそういったことを気にしている(かのように振る舞っている?)ことの問題だと言えるでしょう。

%後は、コストをどう賄うか、ということはありますけどね。(投稿料というより)掲載料が簡単なんでしょうね。購読料で賄うということだと、購読契約しているところ以外は簡単に見れない、かつ、それを見れないと不利益が発生するという状況が必要になってしまいますから。
%良い論文が乗ってるという訳でも特になさそうなのに、雑誌側のマンパワーに比べて、
投稿数が多いために、リジェクトを多く出しているという「誰得?」状態の雑誌も多い
ような気もしますね。そうなってきたら、掲載料取った方が良いのではないでしょうか。
%掲載料取るとお金を出せる人が有利じゃん、というのは、確かにその通りですが、
そこで頑張るよりも、奨学金とか、大学院生に給料出すとか、研究費とかを頑張る方が
はるかに適切でしょう。そこで頑張れないなら、焼け石に水でしかないし、そこで
頑張れるなら、(それほど高額でなければ)大して問題ではありません。オープン
チョイスというのは、この方向性に発展していくものの一つかもしれません。後は、
レフリー、エディター(もしくは、その所属機関)に雑誌が金を払うようになれば、
割かし、問題が改善されそうな気はします。
%掲載料を取るけれども、(良い論文という訳ではなくても)まともな論文であり
さえすれば基本的に掲載する方向の雑誌と掲載料は取らないけれどもエディターが
個人的に気に入った(特に価値を認めた)ものだけが掲載される雑誌、という風に
分かれていったら、いいのでないでしょうか。後者は、要するに、ただ働きになる
けれども、その代わり、「働いてる人の価値観優先」で運営されるということです。
%まともか、どうかを現時点で判断することは比較的、難しくはないだろうけども、
それに対して、良い論文か、どうかは、発表後の「歴史」によってでないと判断が
難しいというのは事実だと思うけれど、その事実に上手く対応できていない感じが
するというのが骨子です。

もっと言うと(低額な)着手金も取った方がいいかも。一連の大雑把な流れとしては、

投稿→着手金の提示→着手金の払い込み→審査、改訂等→掲載料の提示→掲載料の払い込み→掲載

例えば、20ページの論文だと相場としては、着手金5千円、掲載料5万円とか、といった感じで。ここで重要なことは「質が高いかどうか」を判断するという難しいことはしないということです。

ーーーーーーつぎは、時期的な事情に関わることーーーーーー

近年のように基礎があまり進行しない中では、主な評価基準が「基礎固めにどれだけ貢献したか(あるいは、しそうか)」ではなくて、「どれだけ人目を引いたか(あるいは、引きそうか)」になってしまうのは致し方がない、とは言え、それはあくまで「致し方がない」のであって、評価基準をそのようなものに「積極的にしよう」とするのは、道理に合わないんですよ。そういう意味でジャーナルの今の傾向は「何やってるの感」は否めないですよね。結果的にそうなってしまうのはしょうがないんだけど、積極的にそうしようとするのはおかしいだろう、という話ですけどね。

とは言え、結局のところ、基礎があまり進行しない中で、基礎を進行させる以外の観点(≒何だか、よく分からない観点)で研究する人がほとんどになった結果として、人目を引くことと基礎固めに貢献することがあまりに乖離してしまった、ということなんでしょうね。ちょっと、どうにも手の打ちようがない感じはしますけれど。

何かの教科書の前書きで(このような方向の研究は)「国際的に通用しない」(から、駄目である)みたいなことが書いてあったのだけど、それが「世界的には既に知られていることの再発見でしかない」とか、あるいは、「証明が公表されていない定理を仲間内で認めて使っている」ということであれば、妥当な評価だけど、単に国際的にはあまり注目を引いていないというだけのようなので何だかな、という気はします。国際的には評価されている研究が、日本では軽視されているという恨み節であれば、全然、構わないのだけど。

(念のため、一つの傍証として。最近、偉大な数学者が出ていない≒最近、基礎が進行していない、という感じでしょう。まあ、基礎は進行しているのだけれども、それは沢山の人が少しずつ貢献しているから、特に偉大な人が出ていないのだ、という可能性は、論理的には否定はできませんけどね。追記:「重要度」(パフォーマンス)と「届き易さ」(コスト)との兼ね合いで、コスパがいいところから、研究が進んで、段々、コスパが悪いところしか、あまり残っていないということになるのだろう。ただ、パラダイムが変化(例えば、19世紀終わりから20世紀初めに起こった?)して重要度が変化するとか、外部的な要因で重要度が変化するとか(例えば、量子力学以前と以後で、スペクトル理論の重要度が異なる?)、あるいは、例えば、証明支援系の技術的発達である種の研究のコストが下がるといったようなことで、コスパに変化が起こると、コスパが悪いところしか残ってないという状況から脱却するということはあるだろう。)

まあ、でも、大きくは進行していない、ということであって、全く進行していない訳じゃないでしょうけどね。比較したら、あまり大したことないけれど、基礎を進行させるような研究ってのは、やっぱりあると思います。ただ、才能のある人の比率ってのはそんなに変わってないんでしょうけど、それが「大きく開く割合」はかなり低下してますよね。なので、才能がある人がいても、(そして、もしも仮にポストが確保できるのだとしても)そんなに強くは数学の研究を奨められる状況でもないですよね。まあ、また、基礎が大きく進行する時期が直に訪れないとも、限りませんけど。

ーーーーーー以下は、個人的な経験に関することーーーーーー

> 記録が残っていたらお前はそれを読むのかと言ったらほとんど誰も読まないのだけど、誰も読まない記録が残っていて読む人を待っていることが大事
https://twitter.com/marxindo/status/1158129609159823360

[追記:「既知」だからダメでなくて、「簡単」だからダメというのは良く分からないな。
話が難しくなるまで一人の人間がやるべし、というのだと、仮にそこまでできたとしても、
他の人の参入を難しくしてしまうし、あんまりいいことがないような気がするのだけども。
一部の人が(新規性があっても)簡単なものはダメと考えていてもいい、と思うのだけど、
結構、広がってるとすると、問題があるような気はする。逆に、世間一般では「難しいのは
ダメだ」というのが広がっていて、それに対する反発、というのもあるのかも。でも、それ
(そのような世間一般の傾向に)、僕に責任があるわけでもないし。よく分かりません。]

例えば、ユークリッド幾何であれば、(数学だけど)現代数学ではないので、分野違いです、と判断になるのは普通でしょう。
でも、「20世紀以降の数学」であれば、そんなことはないと思うのだけど。最近のものと強い関連が見出せないので、分野違いだ、と言ってるのかな?
まあ、結論自体は当然、それなりの事情があるでしょうから、個々の問題としては、全然、構わないのだけれど、それに変な理屈が付いて来るのが気に入らないってことはあります。
恐らく本当のところは、最近のものと強い関連が見出せないために、誰が適当なレフリーであるのかが、よく分からないということが「ハイクオリティーであることを建前にしていることと整合性」を付けられない、ということなのではないか、と思います。
そういうものは、「ハイクオリティーである建前をあまり必要としていない雑誌」に投稿をしましょうということになるのでしょうね。
ということで、めでたく(?)、最初の問題提起に戻りました。

いまのところの理屈:
「簡単だから、ダメ」←偏狭だとは思うけど、(個別の事象としては)有り。そういう判断する人が一部にいて、それが通ることもあるということ自体には問題はない。ただ、一部でなく、広く見られるとしたら問題でしょうね。
「学術的でないから、ダメ」←これは、事実に反している。本当のところは、ハイクオリティーの建前と整合性を付けるのが難しい、ということなのだろうと思われる。
マンパワーの問題から、多くをリジェクトしなければならないという状況であれば、「ハイクオリティーの建前と整合性が付きやすいか?」を基準にするのは公平ではありましょう。ただ、上に書いたように、そのような状態自体があまり好ましい状態ではないでしょうね。
マンパワーの問題ではなくて、有効な「代理指標」を提示するということから来ているのであればいいのですけど、これは「相対的な問題」なので、それが実際にできる雑誌は少数に限られます。
マンパワーの不足(=コストが上手く賄えてない+余計なところにコストが掛かっている。恐らくは、前者の方が大きい)というところが本当の問題なのに、ハイクオリティーという建前によって、問題が見えにくくなっている。

ただ投稿数に比べて、マンパワーが足りないのであれば、悪意のある言葉を書き込んで
投稿者を不快にさせた方が投稿数が減る効果はあるので、それ自体は間違いではないの
かもね。それよりも、掲載料の方が圧倒的に適切だと思いますけど。掲載される論文の
質に比べて、なぜか(本当に、なぜか)エディターが研究優等生ばかりになってるよう
なので、彼らも、いやいやエディターをやってるんじゃないかなあ。15年くらい前は
そんな雑誌ではなかったように思うのだけど。前は論文の質が高かったということでは
なくて、前はエディターが研究優等生ばかりではなかった、ということです。でもさあ、
学会誌なんだから、質の高い論文を掲載するというよりも、「発表の場」を提供して
いるんだと、こっちは思うじゃん。何、できもしないことをやろうとしてるんだろうと
いう気しかしませんけどね。それより、「発表の場」を提供するという恐らくは当初の
スタンスに戻った方がいいと思いますけど。それなら、別に研究優等生を揃える必要も
ないでしょうし。

「質が高いことが分かりやすい」論文が有力雑誌に集まるのは
ネームヴァリューを求めている訳ですから、当該の有力雑誌が
価値があるものを作り出している側面は強くなくて、雑誌側の
努力、というのは、それほど関係ない訳です。そんなところで
努力を要求するのは大学ランキングを云々する文科省と被って
いますね。

質の高い論文を掲載するというよりも、発表の場を作る、ということで始まった雑誌も
多い、と思うのだけれど、それが右に倣えで、「ハイクオリティー云々」を言い出して
いるのは、本当に意味不明です。

質が高いか、どうかは不明でも、特に変な論文でなければ、正式に公表をする場はある、というのは、大事なことだと思うのだけど。
もちろん、現実的には「但し、そのコストを負担した場合には」という条件は外せない、というのは、仕方がないことです。なので、
掲載料取りましょう。

数学関連の研究者が増えれば、その研究対象や興味も様々になって、
何だか、よく分からん奴が何だか、よく分からんことを議論してる。
かと言って、別におかしなことをやっている訳ではないという風に
どんどんなっていくんですよ。質が高いか、どうかなんてますます
判断することは困難になります。質が高いか、どうかはよく分から
なくても特に変なものでなければ、正式に公表できるということが
必要です。そういうことは、数学以外の分野では既に割かしできて
いることが多い(掲載料を取る雑誌が多い)ような気がしますけど。
質が高いことが本当に「明らか」ならば、何で掲載料なんて取って
いるんだよという話。もしもそれが嫌というなら、数学者を減らす
努力をすべきですね。

最近のフィールズ賞(極めて質が高いと思われる!)の傾向からも、
この趨勢は実際に現実であることは、明らかでしょう。その反発と
して、「数学の統一」といったことが一部で持て囃されるといった
ことが起こったりすることもあるようですが、実際には、あんまり
関係がない、と思われた複数の「狭い分野」の間に興味深い関連が
見られるということであって、重要ではあるのでしょうが、そんな
ものは何ら統一ではありませんよね。そういったこと自体が、何か
から目を背けたいがために発生をした、何らかの欺瞞である、とは
言えるでしょう。まあ、数学の広い範囲にインパクトのあることを
(=多くの雑誌が建前にしてることを)個人的にしたいというのは
別にいいのですが(私自身、そういった思いが全くないというわけ
でもないですし)他人様にそんなことを要求、期待をするべきじゃ
ないです。「非現実的な夢」を個人的に抱くのは構わないのだけど、
それを他人様に要求しようとする人が(まだ?)多くいる、という
ことが絶望的にダメです(笑)。

「難しいことができる」ということ自体は良いことなのでしょうけど、
難しいことをやったとしても、ごく一部しか歴史の審判には耐えられ
ないという意味では「簡単だが新規な結果を出す」のと大差ない、と
言えるでしょうね。ただ、簡単なことで新しいことをしようとしても、
実は既に先行者がやっていて、新しいことを見出すのは難しいという
ことはあるでしょうね。一方、難しことであれば、先行者がやってい
ない可能性は高まります。一概にどちらが良い研究ができる可能性が
高いということはないでしょう。ただ、まあ、簡単なことだと新規な
結果どうかを確認をするのがエディターやレフリーが判断をするのが
難しいということは起こりがちでしょう。とりあえずは、容易に先行
結果が見い出せないのであれば、ハイクオリティーをあんまり要求し
ない雑誌に掲載し、後は歴史の審判に任せるというのが妥当でしょう。
そういう意味でも、ハイクオリティーを建前にする雑誌がほとんどと
いうのは、極めて問題があるわけです。

> 記録が残っていたらお前はそれを読むのかと言ったらほとんど誰も読まないのだけど、誰も読まない記録が残っていて読む人を待っていることが大事
https://twitter.com/marxindo/status/1158129609159823360



【ブログトップ】
http://d.hatena.ne.jp/h_yagisita/00000000
(「推薦図書」など)



【世界一の大学の学生生活とは?】
ハーバードの学生は、勉強せずに部活をやっている。あるいは、大学は格差拡大のための装置であり、「家が裕福で金銭的な心配が全くないため、課外活動に励むことが出来る者」が入学してくるのが(大学にとっては)一番良いのである。
2016-04-02
2016-12-15
https://twitter.com/echinodermes/status/807775173520818176
https://twitter.com/ProfMatsuoka/status/813565657274953728
https://twitter.com/Mihoko_Nojiri/status/821343412943134720
2017-01-01
芸術学部と経済学部の違い】
アートよ、私を受けいれて 『アート・ヒステリー』その他 - チェコ好きの日記
> 芸術系の学問というのはとにかくメシのタネになりません。というと、「いや経済学部だって同じだよ、学生時代に学んだことなんて社会に出たら何の役にも立たないよ」とフォロー(?)してくれる人がいるのですが、なんかそうじゃなくて、あの世界にいると根本的に世間と価値観がズレていくのです。
『アート・ヒステリー』なんでもかんでもアートな国・ニッポン:レイの「アート」ってなんだ?:So-netブログ
> 専門学校の生徒たちをみていると、「この子たちは何をしたいのだろう?社会に出たときにどうなるのだろう?」といつも心配してます。
> 一般的な企業が体育会系の学生を好むのは大いに頷けますね。
【一般職は新卒のみ】
http://zouzouzou138.hatenablog.com/entry/2016/06/26/170438
> どこも総合職→一般職の仕組みはない
> 一般職の転職も探すが、ほぼ皆無
> 一般職って新卒じゃないとなれない
> 自分が女だということに気づくのが遅すぎた
> 男にはなれないしなりたくもない
【採用基準】
公務員は、《試験(学力)+人物》で採用する。一般企業は、《学歴(学力)+人物》で採用する。
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160501-OYO1T50013.html
> 専門試験を5年ぶりに復活させる。橋下徹前市長時代に「人物重視」の試験に切り替えたが、新規採用者に法律知識不足が目立つようになったことから、改めて「バランス重視」に見直すことにした。



【改革】
働き方改革なしに、教育改革しても失敗する」ということはもう散々、経験したのです。働き方が変われば、教育は自然に変わります。
2017-01-19
【ユニーク?】
学内で特色ある教育をアピールしても全く意味ないでしょう。意味があるのは、例えば、
   ・受験生に人気があり、大学の偏差値の向上になっている
   ・学生を優良企業に送り込んで、大学の進路実績になっている
   ・少ない教員で多くの学生を捌いて、大学の収益になっている
辺りが本命です。
【教育方針】
教員が学生に近づけば「学生が優良企業に就職できる」ようになる、っていうなら、
どんどん、そうすればいい、と思うけど、別にそういう訳じゃないでしょうとしか。



【数学科は理系ではありません】
なぜ、数学科生はSEという恵まれない傾向にある職を選択してしまう比率が高いのか?数学科は理系ではないにも拘らず、理系であると誤認してしまう学生が多いためである。この誤認に基づいて理系職を目指しても、理系職への採用の道はない。その結果として、理系職に近いように見えるSEを選択してしまうのである。数学科を理系であると誤認をしてはいけない。受験ではどっちかと言うと数学が得意だった文系と認識するのが吉である。そもそも、君達は実験しないじゃないか。なぜ理系だと思うのだ?



【職業教育、他】
X
> 大学の職業的レリバンスを高める方法は明らかで、経団連(企業)がカリキュラムを作って、所定の成績を収めたら必ず採用
https://twitter.com/ichiro_satoh/status/725269095000629252
> 霞が関や企業が、予算目的で技術トレンドや効果を実態以上に盛っても、実態以上の成果は出ないわけで、すぐに反動がやってきて、長く厳しい冬の時代がやってくる
https://twitter.com/apj/status/719697980182298625
> 大学の場合、補助金をもらった事業が成功しても、それによって客が増えて収益が上がることはまずない
「働いても幸せになれない日本」に生きる若者 労働はもう日本の貧困対策を担えない | ワークスタイル | 東洋経済オンライン
> 国家が貴重な若い労働人口を、政策的にブラック企業に誘導している
> 職業訓練校の講師から労働相談を受けたときは、衝撃を受けました。パソコンスキルを教えている講師が、3カ月の有期雇用だった
> ブラック企業に押し込むようなことが起きてしまっています。それでも就職が決まると、支援者は「よかった、よかった」と、就職祝いのパーティを開いて大喜び



【教育政策の大失敗】
ときどきマスコミでも踊っていた「これからは生命科学だ!」の合言葉とともに《高等教育機関》が作り出した存在が、まともな職に就けない大量のピペド(ピペット奴隷ピペット土方)たちである、という経験を生かさなければ、彼らが浮かばれないじゃない、と思う次第です。他にも似たようなことが、いろいろあるようですけどね。事実として、彼らを向かい入れる企業はあまりありません。



【数学科とは?】
https://twitter.com/kamo_hiroyasu/status/713698133440536577
> 高校の数学に物足りない人が行くところです。
【アクティブ・ラーニング(笑)】
課題は「エデュテインメント」の次のステップ | SOUL for SALE
> ステップ1で「楽しく学ぶ」ことに成功したとしても、ステップ2においては「あれもこれもやらなければならない」「何を勉強しているのか分からない」という風に楽しくないことをやらなければいけない
> この点について上手にハシゴを用意できている例に出会ったことがない
> 誰もが分かる通り、面白くなって勉強を始めたものは、面白くない現実に直面してすぐに放り出されてしまう



【理念くん】
不要な物は理念くん、理念さんです。彼、彼女は
プラスになるか、マイナスになるか、分からない
(場合によってはむしろマイナスになる)ことを
他人に押し付けてきます。



【自爆誘導】
ちゃんと講義を受けてる? 近大が保護者向けに出欠、成績照会サイト スマホやPCで閲覧(1/2ページ) - 産経ニュース
PRとしては効果的だが、本当に使えるものにしてしまうと「学生による口コミ」で受験生に敬遠されるだろうね。
宣伝のためだけのもので、【実際には使えないものにする】というのが正解だろう。
近大的には、他大が安直にこれに追随し【実際に使えるものを導入して自爆】してくれれば、二度、おいしい訳だ。



【中学の教科書】
採択相次ぐ!「育鵬社教科書」本当の問題点 「右・左」だけでなく、グローバル視点で課題 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン
> 「櫻井さんみたいに勉強ができる子ばかりじゃないから」と言われた
> 育鵬社が採択されたのは、分かりやすさ、面白さ、そして何となく自信が持てるといった要因からだ

史実の記述が少なく、娯楽の要素が多いものが、優先的に採択されている。
要するに、公立の中学校は学習の場ではなくて、中学生の預かり所である。



【カリキュラム】
近大のカリキュラムをざっと眺めてみた。
例えば1回生のうちに線形代数微積分が一通り終わる。
1回生のとき簡単なことを調べて発表をさせる。
全体的には「教員志望者」と「大学院志望者」には有用なカリキュラムという印象。


【感想】
数学が「理解の対象」ではなくて、「話すためのネタ」だとすると…。
「話すためのネタ」としては数学は良いものでないと思うのだけど…。
「話すためのネタ」だったら、例えば“共通の友達”について、とか、もっと良い話題が色々とありそうな気がします。

【承前】
あるいは、研究と広報の違い。
小保方さんにとっては「理解の対象」ではなく、「話のネタ」だったと思うんだよね。
だから、彼女は研究ではなく、広報の道に進めばよかったんだと思う。
それが“研究に進んでしまった”というところに、昨今の文科政策の問題がよく現れているように思う。



【求める人材像】
建前とか、虚偽のスローガンを剥がしてみれば、日本の企業が(一般的に)「正社員として求める人材」は、はっきりしているよ

[1]:より上位のレベル(偏差値的に)の学校への進学に成功した者

[2]:クラブ活動(あるいは、類似の活動)に積極的に取り組んだ者

http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20150725ddm008070145000c.html
> 採用選考では大学で学んだ知識や技能はあまり問題にされず、結局何が採用を決めるのかが分からない
> 日本の正規雇用は人間に仕事が張り付く「メンバーシップ型」だ。仕事に人間が張り付く欧米流の「ジョブ型」とは大きく異なる
> 学生はこれからさまざまな仕事を張り付ける「素材」として評価され、必要な知識や技能はその都度会社のなかで教えられる
> サークルやゼミで何に取り組んだかを聞かれるのは、大学の偏差値共々、「素材」の良さを示すエピソード

http://www.weekly-economist.com/2015/08/25/%E7%9B%AE%E6%AC%A1-2015%E5%B9%B48%E6%9C%8825%E6%97%A5%E7%89%B9%E5%A4%A7%E5%8F%B7/
> 慶応義塾大学 清家 篤 塾長 「すぐに役立つ者はすぐに役に立たなくなる」



【基礎重視】
理学科 数学コース | 学科(理工学部) | 近畿大学 理工学部・大学院 総合理工学研究科
カリキュラムを見ると、余計な科目がほとんどない。そして進路を見ると、教員の比率が約60%。教員になるのがいいとは思わないが、
 
   基礎を充実した方が結果に繋がる
 
ということなのだろう。大学の広報はふざけているが、授業の中身は古色蒼然である。言い換えれば、(もし能力を向上させたいのであれば)中身は改革してはいけない、ということだろう。しかし、教師の労働環境は悪くなっているので、「教師志望者が減る」という結果を産む教育のほうが、実は良い教育なのかもしれない。気になるのは、当学科もこのような基礎重視のカリキュラムであったなら、上位レベルの大学の大学院に進学できた(その結果、修士修了の際により良い就職機会に恵まれた)であろう学生の存在である。



【出席重視】
大学の(通常の講義、演習科目に関する)出席を重視したような姿勢は、結果的に学生の就職に関して「負の影響」を及ぼすような気がするのだが…。工学部に代表されるような実験科目は、全く違うだろうけど。



【逆説】
英語が好きな人は多く、英語を使う仕事がしたい人は多い。その結果、主に英語を使う仕事の労働条件は非常に悪い。
幸いなことに、数学が好きな人は少ない。そのため、数学は英語に比べると、このような悲劇は少ない。
注:「主に英語を使う仕事」(通訳など)の労働条件は悪いが、「英語を使うこともある仕事」(大手商社など)の労働条件は良い。



【広報戦略】
> 高校生のリサーチしたら「大学案内見ても長い文章は読まない」「印象に残る大きな写真だけに目を留め周りの文章を読む」だったのでマグロに絞った宣伝で志願者急上昇
https://twitter.com/smasuda/status/568722149986299905



【事実】
> 職業教育をと言っといて、実は単に偏差値で選ぶ
X
> 職業教育をするほうが就職が良くなるってんなら、どこもとっくにそうしてるわ
X
> 就学率が急拡大し、その教育機関の性格が周辺から変質していることに対し、政府が短兵急かつ過度に直接的な職業的レリバンスを求めたが反発や機能不全を招き、結局一元的な垂直的格差が温存・深化された、というのは70年前後に高校が経験したこと。今の大学が同じことになれば悲喜劇
https://twitter.com/hahaguma/status/573633321692876800



「一元的な垂直的格差が温存・深化」←案外、それが目的だったりしてね。その方が、階層の固定化には都合が良い訳で。世間受けしそうな発言をしつつ、そういう目的も達せられると言う。1粒で2度、おいしい的な何かですね(“楽天の社長”さんへ)



【就活】
学歴フィルターに怒る前に就活生がやるべきこと(藤代裕之) - エキスパート - Yahoo!ニュース
> 現在の就活は己にフォーカスが当たりすぎていると感じます。やたらと1年生から自己分析をやらせたりしているキャリアセンターもあるようですが、その前に敵を知るべきでしょう。
> 採用実績校や役員の学歴などから、その企業がどの程度学歴を重視するのか、また偉くなれるのか、も予測できるはずです。自分の大学から数年以上にわたり採用実績がなければ、かなり難しいと判断できます。



自己分析をやらせたりすることになるのは、大学生は「就活で有利になる活動」=「大学受験」が既に終了しているために、とりたててやることがないからだけど



【文科行政】
https://twitter.com/Nakamura_Mitch/status/581065456791863297
> 「改革」プログラムに喰いつかせる
> 時限付きで場当たり的な対応にしかならない
> 経済的にも時間的にも非効率



【ブラック】
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> 道具を入れる袋をたくさん作らなきゃいけないから大変
> 「子供が1年生、お母さんも1年生、一緒に育つために手作りしましょう」って言われる
https://twitter.com/shiina_rat/status/580384503769665536
> 週一ベビーシッター発言に対するバッシングに絶望した
> これからの数十年もこの国では「母親は自由を奪われるべき」という思想がまかり通る



【JC、JK。】
2015-06-11
> 女子中高生向けの講演会が以下のように開催されますので、お知らせいたします。
> 題名: 数学の魅力4 ― 女子中高生のために ―
> 主催:東京大学大学院数理科学研究科