答弁(キャリア教育)

ご意見、ありがとうございます。私の中に感想(?)に対する良し悪しの基準を持ち合わせておりませんので、(例えば、良い物を選んだと言うと)学生に誤解を与えることになってしまいますので、そういう言う方をしました。良し悪しを判断するに足るだけの(この授業の科目の内容に沿った)「専門性」を私が持ち合わせていないことが、そもそもの問題かもしれません。
特に良し悪しの基準がない状態で選んではいますが、それでも、あえて「良かったもの」として紹介することのメリットもあると思いますが、デメリットの方をより大きく考慮して、そのような発言は控えました。
確か、この前、○×先生でしたでしょうか(←正確に覚えていませんが。)にお聞きしたときに「基準がない状態でもランダムに選ぶのであれば紹介可能だな」と私は判断した次第です。また、少し話が異なりますが、関係あるご発言としまして、そのときにお聞きした話だと、「RNは量が少ないものを除いて、エクセレントにしている」ということのようでしたので、これについては主に分量でご判断をしているということになるのだろうとは思います。
仮に紹介するものを今後、ある程度の分量のあるものから選んだときには、「ある程度の分量のあるものの中から(無作為に近い形で?)選びました」と私が発言することは事実に反していない発言ということにはなるだろう、とは思います。
仮に私が何らかの基準を「発言」したとしても、その基準が「実際には適切に適用されてない」のであれば、デメリットがあると思いますので、そのような発言は控えた方が良さそうだというのが、今のところ、考えているところにはなります。
専門性ということの意図につきまして補足します。
自分流と言うならば、今の状態も既に自分流です。
しかし、今の状態は、(自分流ではあるが)あまり良ろしくないのではないか、という意見も有り得るでしょう。
実際に、私はこの授業の科目に沿った「専門性」を有していない(ある分野の専門性を身に付けるためには一応、標準的には大学院で5年間学び、学位論文を書くのが通例となっているようです)ので、何が良いのか、という判断基準を有しておらず、また、仮に何とか、そのような基準をおぼれげに理解した気になることぐらいは可能かもしれませんが、「私のような素人」がそれを実行しようとするのは、ほぼ無意味、かつ、不可能です。
少し似たような事例(比喩)としては、競技の未経験者が部活動の「引率」程度ならば可能だ、とは思いますが、未経験者が行う競技の指導など、独りよがりで、競技能力の向上に真面目に取り組みたい部員にとっては邪魔なだけのように思います。競技の指導ではなくて、引率なら、彼らの邪魔になるようなこともあまりないでしょう。
以下、比喩になりますが基準について補足します。
大会出場のメンバーを選出する場合に、陸上競技のように「素人でも分かるタイムのような基準」があれば、競技の未経験者がメンバー選出を行っても特に問題ないでしょう。しかし、サッカーのような競技であれば、競技の未経験者がメンバー選出を行うことは、(選ぶ側に、その自覚がなくとも)「属人的な好き嫌い」で選ぶという弊害を生み出すだけのように思います。
「専門性を持たない者」でも出来ることもあれば、「専門性を持たない者」では出来ないこともあります。例えば、引率は競技の未経験者でも可能でしょう。
全般的に、キャリアに強い先生(専門性を有する先生)が行う分には可能、かつ、非常に意味のある指導であっても、私のような専門性を有さない者には難しい、あるいは、無理に行おうとすると弊害があることも多々あるでないか、と愚考いたしているところです。もちろん、専門性を有さない者にもできることもある、と考えております。
専門性がなくてもいいので、「特に専門性がなくてもできることだけ」をやっていれば良い、という意味合いの人選と今は専門性が不充分だとしても「将来(例えば、数年などで?)、専門家になることを期待する」という意味合いではかなり違うように思います。後者ならば、それなりの教育投資も必要だと思われます。
より近いと思われる状況(比喩)を思いつきましたので。
英語の出来ない人が、「英文和訳の答案の良し悪し」を判断するのは普通は難しいですよね。例えば、指導者用の教科書の解説に「日本語の模範解答」が載っていれば、日本語は分かるので、模範解答に近い解答に高い点数を付けるということはできないことはありませんけれど、不適切な点数を付ける可能性は高くなります。よく分かっていない指導者が無理やりを点数を付けるよりは、その模範解答を渡してしまって、「英語を学びに来た学生」が各自で自分で判断した方がはるかに適切な指導になるだろうと思います。もちろん、こうなってしまうのは、「指導者が英語に対して充分な能力をもっていない」ことに原因があります。しかし、そのような指導者でも、英語の模擬試験の点数を見て、英語の点数が高い学生に「英語ができると合格し易い入試を行っている大学」の受験を勧める、というような進路指導を学生に行うことは可能です。
以下は、蛇足です。指導者の能力不足で「良し悪し」がその指導者には適切に判断できないのではなく、本当に「良し悪しの基準」がないという場合であっても、また違う意味で、「良い物を選び出して示す」ということには問題が発生をする可能性があるような気もします。
上記のようなことが“はっきりしていない”ことと現状において「共通教育」、「通常の学部教員」の人数比がどちらかに“よっていない”ことは強く関連しているように思います。個人的には
1:通常の学部教員の人数を多くして、少数のキャリア系教員が統括として係わる(→通常の学部教員で可能なことを行う)
2:ほとんどがキャリア系の教員(→キャリア系の専門家でないと難しいことを行う)
のいずれか、はっきりさせる必要があるような気も少しいたします。個人的には、現状は、中途半端で意味分からん、というような印象が多少あるような嫌いも少しいたします。現状、私はキャリア教育に特別に強い関心がある訳ではございませんし、何よりも「キャリアの専門性を有していない」という能力の問題により、「私自身」に関して言えば前者に近い行動をする以外の選択肢は考えにくいだろう、と思われます。
いずれにしましても、特に専門性も有しない者がパートタイム的に関わったところで、「大したことはできない」のが普通だろうと思います。逆に、例えば、医者であれば(保健管理センターのように)パートタイム的に関わっても、素人が変に頑張るよりも良いのだろうと思います。