入試改革…?

http://mainichi.jp/feature/exam/news/20131011k0000m040148000c.html



> 2次試験からペーパー試験を廃し、面接など「人物評価」を重視することで、各大学に抜本的な入試改革を強く促す



実現するか、どうかは怪しいけど、実現したら、国公立大学からは一流大学が消えて、国公立大学は「学力不問」=「市民に開かれた大学」になる。それは、それでいいとは思うけど。さらに実現性は怪しいが、もしも私大にも導入となると、高校のランクで進学する大学のランクが決まる、というアメリカンな方向になるな。学力が求められるのは、上位高校に通う一部のエリート層のみということでもある。方向性の良し悪しはともかくとして、案を出している人達は、「偽の問題」に振り回されている人達だろうな、という気はする。






今後の高校教育の在り方に関するヒアリング(第1回)本田由紀氏(東京大学大学院教育学研究科教授)意見発表:文部科学省



> OECD各国の中での後期中等教育、つまり高校段階において、普通科すなわちアカデミックコースに在学する生徒の比率を国別に示したものがありますけれども、やはり経済的な先進国の中で、日本は最もと言っていいほど普通科の割合が多くなっています。
> 個々のご家庭が持っていらっしゃる諸資源――経済的なもの、あるいは文化的なものを含めて、子供の教育をどれほどバックアップできるかということに関しても、ご家庭の間に大きな差がついているわけですけれども、そういう大きな家庭の間の資源の格差というものを、小中学校でほとんど補正することができないまま、学力が身についていない子は全然見過ごされたままで、そのまま高校に来てしまっているというような現状があります。
> 生徒が普通科目の勉強というものに、自分の現在あるいは将来の生活にとっての意義というものを感じられない。
> 「サイン、コサイン、タンジェント」であるとか、「あり、をり、はべり、いまそかり」であるとか、世界史のさまざまな年号などを、教師が教えているわけですけれども、そういうものは彼らにとって自分たちの関心事ではないわけなんですね。
> 例えば部活やアルバイトや、あるいは文化祭などではぐーっと力を発揮するんですけれども、とにかくその普通科目の授業では関心や意義を感じることができていない。
> 普通科を出ても、進学する子ばかりではないということは言うまでもありません。
> 彼らは、非常に就労機会も限られておりますし、劣悪な労働条件での就労を強いられることにもなりがちです。
> 一体どういう就労状況にあるかということについてのデータを載せてありますけれども、非常に非正社員が多いことがわかります。
> 雇用も不安定で賃金の低い非正社員になる子が多いだけでなくて、たまたま正社員になってしまった場合は、ものすごい長時間労働に巻き込まれてしまうことも示されています。
> 文部科学省を中心として、キャリア教育が大事なのだという方向で対処がなされてはきましたけれども、このキャリア教育というものは、非常に抽象度が高いわけですね。
> とにかくこれが大事なのであるということで、旗を振るだけの結果に終わってしまっています。



> 専門高校は、日本では高校生の4分の1にすぎないということで、量的にも少ないですし、あるいは社会的な位置づけという点でも、「普通科に行けなかった人が行くところでしょう」とか、「どうしても卒業後に就職しなければいけない人のための高校なんでしょう」というふうに低く見られがちなところがあります。
> 専門高校からの就労先というのは、普通科卒の子に比べると相対的にはよいのですけれども、今、進学者が増えてきて、大学・短大などに進学する人たちが、もう半数を超えているという中で、やはり専門高校を出ただけの知識で一生やっていくという点では非常に厳しい面がありますので、やはり専門高校を出て、いったん仕事についても、のちにもう1度、高等教育に戻ってくるようなリカレント教育の仕組みが必要だとは思います。



> 基礎学力の格差縮小、特に学力の「底が抜けた」状態になってしまっている子供たちのためのきめ細かい指導が必要になってきますけれども、これは、やはり小中学校段階から丹念に取り組まれるものであって、今、高校段階でも、小中学校で身につけておくべきことの補習というものは熱心になされていますけれども、もう遅いというようなことにもなりがちです。
> カリキュラムの内容が、特に普通科においては、高校生にとって何ら自分の現在や将来の生活、社会生活にとって意義あるもの、関連性があるものと感じられなくなっているということが、非常に大きな問題だと思います。



> 職業的意義というものを、ある特定の職業につくための非常に限られた狭いものとして想定してしまっては、今、非常に変化が速い労働市場の中でむしろ命取りになってしまう。
> 専門高校ということは、今非常に陰の位置に押し込められたような存在ですけれども、その地位向上というものが私は必要なのではないかと思います。
> 実のところ、専門高校の地位を向上するためには、十分に大学に進学できますということをアピールすることが、保護者や中学校の教師の方々に、専門高校という手もあったかということを知ってもらう上で、一番有効な方策なんですね。
> 実際に同じ高校卒業者であるにもかかわらず、普通科卒と専門高校卒の間で進学機会に差があるということは、これはヨーロッパでは非常に重視されている均等性の原則に反します。



> 今NPOなどが、労働法教育などについて高校の中で出前授業をしてくれているところもあります。
> 学校の先生は、やはり民間の働き方についてはよくご存じない場合も多いので、どれほどブラック企業が広がっていて、そういう場合どうすればいいかというような教育に関しては、外部のNPOなどのほうがずっと上手にできる場合もある。
> それはもう学校に入ってきてもらっていいと思うんですね。



> 高校やあるいは大学において、例えば職業的意義のある教育を行ったとしても、それを全く無視し、踏みにじるような労働市場であれば、それはなかったことになってしまうわけですね。



“職業的意義のある教育を行ったとしても、それを全く無視し、踏みにじるような労働市場であれば、それはなかったことになってしまう” ← 今ここ。なので、大学で仮に職業に結び付く教育を受けたとしても、それは「骨折り損のくたびれ儲け」という、とても残念な結果になってしまう訳です。本当の問題は、例えば、この辺り、ということで。