企業が求める教育とは(本音)

宮本太郎氏(北海道大学大学院法学研究科教授)意見発表:文部科学省
> 日本社会の変化の中で高校教育の新しいポジションみたいなものを話せという御趣旨というふうに受けとめて、そのようにお話を進めさせていただきたいと思います。



日本編:
> 上場企業の人事部を回ったことがあるんですけれども、どういう教育を期待するかというと、はなから人事部の責任者たちは、無理しないでよろしいと。うちがうち流に仕込むから、やっぱり我慢強さといったようなことを身につけさせてほしい、とこうおっしゃるわけです。高校教育というのは、遊びたい盛りに、いろんな欲望が渦巻く盛りに、こういったら怒られますけれども、なるべく無味乾燥な受験勉強をこなしていく我慢力、素材力、自己コントロール力の実践の場だと。大学はその力に偏差値という判子をつく。



スウェーデン編:
> 若者たちを職業的に囲い込むことを目指して職業教育が導入されたわけじゃない。ともかくいったん社会に出てみるステップとして何かの職業的な入り口を設けるということです。17、18、19ぐらいになるといったん若者たちは勉強をやめて働いてみる。そして、そこで自分に向いた職業についての見通しを得てから、そのために必要な学問ツールを学ぶ。ある若者たちにとっては、それはコンブクスです。ある若者たちにとっては、それは公的な職業訓練です。ある若者たちは、大学に進学する必要を感じるというわけですね。



例えば、資格取得とか、実務教育とかいったものは大学にとっては『受験生集め』ということで非常に重要なのだけれど、教育を受ける学生本人にとっては日本社会の現状であまり意味がない。ただ、受験生集めということで言えば「楽しくて、華やかなキャンパス・ライフ」のイメージと「良好な就職機会(これ、ほぼ偏差値と同じだけど)」でほぼ決定してはいる。