特殊事情

ガラパゴス?日本独自の道をたどった大学「大衆化」 大学の本音と建前:「初年次教育」という憂鬱(2)(1/5) | JBpress(日本ビジネスプレス)
> 日本の大学の大衆化の進行には、諸外国とは異なるいくつかの特徴がある。
> 日本の大学は、「マス段階」の大学が抱えることになるとトロウが想定した困難(=多様なレベルの入学者が混在しているという困難)を、「ユニバーサル段階」にまで引きずり、引き受け続けているのである。
> 日本の大学制度の量的拡大は、圧倒的に私立大学に依存する形で実現したということがある。
> 条件の悪い大学群(私立大学)が、大衆化によって新たに大学に進学するようになった層の学生たち(学力階層的には中・下層の学生層)を大量に引き受けている。
> 私立大学にはそれらの学生の受け入れを拒否するという選択肢はない。彼らを入学させ続ける必要があり、かつ、そう簡単に中退させるわけにもいかない。
> 職業教育セクターであれば、大衆化した層の学生たちに対しても、彼らのモチベーションを喚起できるような教育内容を提供することができるという利点がある。
> 日本企業は、大卒をジェネラリスト人材として採用し、彼らの職業能力開発は、入社後の企業内教育が担ってきたという事情がある。
> 企業は職種別の採用を行わず、職種別の労働市場も発展していなかったので、大学教育の側も、職業教育に特化した学部等を増やすことはなかったのである。
> 日本の大学の量的拡張を担ったのは私立大学であったため、人的にも物的にもコストのかかる職業教育系の学部等ではなく、安上がりで、マスプロ教育も可能な人文・社会科学系の学部等の設置や拡大に走ったということも指摘できるかもしれない。