糾弾する人々

二つの自己責任論(再録)
> 「迷惑」とされる行為の範囲が著しく拡大されており、自分は直接の被害を全く受けていなかったとしても「見てて不快だった」というだけで「迷惑」行為の認定が可能になっている。このような分別的自己責任論が充満した社会では、新しいチャレンジをすることは非常に難しくなる。「迷惑」行為の範囲が拡大するほど、社会から認められた行動パターンから外れた行為をすることはできなくなるからだ。