高学歴化、あるいは、教育過剰

> 教育過剰とは,個人の教育達成(学歴)が,その個人が就いている仕事に必要とされる教育達成よりも高い場合をいう。誤解を恐れずにいえば,高度な教育を受けたにも関わらず,程度の低い仕事をしている状態と換言される
> 日本社会においては,学歴と経済的地位を関連づけて議論することがタブー視されてきた文化的背景があり,教育過剰が実証研究の課題として取り上げられる土壌がなかった
> 企業は外部から遮断された組織であり,入職口は企業の中の低いポジションに限られ,企業内の高いポジションへはその低いポジションからの昇進によって行われる
> 採用された労働者は,企業内でOJTを中心とする職業能力開発を受け,企業特殊的熟練を身につけることで昇進していく
> 顕在的な能力の有無は問題にならない。それは,OJT(訓練機会の配分)を通じて企業内部において獲得されるものであるから,入職口では選抜の基準にはならない
> 大切とされるのは,OJT や各種の訓練を効率よく吸収し,企業特殊的熟練を獲得できる潜在能力としての訓練可能性(trainability)である。ただし,この訓練可能性は,潜在的であるがゆえに簡単に判定することができない。個々の労働者の訓練可能性を判断するために,企業は労働者の持つ様々な属性等の情報からそれを探ることになるが,この時最も有力な代理指標として浮上するのが学歴である
> 組織内や労働市場全体での相対的な位置が入職口やその後の訓練機会の獲得に大きな意味を持つのならば,個々人はより良いそれを獲得するために,防御的に訓練可能性の代理指標である学歴を高めようと考えるだろう。労働者にとっては,高学歴者の割合が増えれば増えるほど,より良い訓練機会を獲得したいならばより教育に投資することが不可避となる
http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis294/e_dis294.pdf



ぶっちゃけて言えば、「英会話」、「コンピュータ」、「数学」、あるいは、「コミュニケーション力」といったものも(学歴と同様に)仕事で実際に必要になるものではなくて、《潜在能力(訓練可能性)の代理指標》としてのみ機能している。